2018年10月15日

甲子園球児からクルマ業界の人事へ 「世間知らずは嫌だった」メンバーの理想に寄り添い、自分が変わることを学んだ店長時代

 

10月の人事異動より アップガレージ 国立府中インター店 から本部に異動したメンバーをご紹介します。

 

山下 隼(やました・じゅん)

2011年  4月   (株)アップガレージ 新卒8期生として入社
2018年10月 人事総務部 研修・採用担当

出身:東京都福生市
経歴:東海大学菅生高校卒業、拓殖大学 外国語学部卒業

 

 

甲子園出場、プロを目指した学生時代は「どの歯車になるか考えた」

2人兄弟の弟として育ち、兄の影響で3才から野球を始めました。小学校のころは傷だらけになるまで遊ぶ野球一筋な悪ガキで、弱いことや負けることは恥ずかしいことだと思っていました。小さいころから気が強かったです。

野球では、馴れ合いではない絆のつくり方を学びました。人間形成された大きな経験です。野球は一人ではなく、みんなの力が絶対必要です。役割に徹することを学び、歯車のどの部分になれるかは常に考えていました。

 

 

お店でもチームワークという言葉をよく使いますが、チームワークは仲がいいだけではなく高め合うことだと思っています。

 

市内では向かうところ敵なし。このまま自分はプロになるんだと思いながら全国大会常連の東海大菅生高校へ進学しました。
大阪、奈良、高知など全国からスカウトした「野球留学生」が集まる強豪校です。部員だけで110名弱、ベンチ入りは20名という厳しい環境でした。この前(2017年夏)も甲子園でベスト4になっていましたね。

部活は、地獄でした。

 

 

「それじゃあ他の高校と一緒だろ。」と辛い時に辛い顔もできない練習でした。高校入学前は、誰にも負けないと思っていましたが、高校に入った瞬間「やばい。」と視点が変わりました。打って守ってカッコつけたいけれど、ここでは無理だと思った。

生き残るために、ファウルボールを打ちフォアボールにするスキルや得意だった守備のスキルを磨きました。
結果、試合終盤の点を取られたくないタイミングの守備固めとして使ってもらえるようになり、高校2年生の3月に選抜入りし春の甲子園に出場しました。ポジションは、セカンド、ショート、サードです。

 

 

甲子園は目指したものだったので嬉しかったし誇れるものでしたが、自分の中では大きいことではなかったです。予選での背番号はレギュラー番号でしたが、甲子園での試合出場がなく悔しい気持ちの方が大きかったためです。

 

世間知らずは嫌。ただ、野球とは離れられなかった

大学は、声をかけてもらい野球のセレクション(選考試験)を受けて拓殖大学へ入学。

外国語学部という運動部系の人があまりいない学部でした。推薦組が多くいる国際学部へ転部する話もありましたが、大学1年の冬に肩を故障してしまい、それを理由になくなってしまいました。

怪我の原因は、無理のある投げ方や使いすぎです。落ち込みました。野球をやらない自分が想像できなかったので。
プレーヤーとしてありたかったので部活は辞めてしまいました。その後、声をかけてもらい高校の臨時コーチになりました。結局、野球からは離れられなかったです。

 

大学3年の3月ごろ、就活をスタートしました。就職氷河期でしたが、選考に進みスポーツインストラクターや少年野球を教える職種などと迷いました。

ただ、ずっとスポーツ業界、世間知らずなまま生きるのが嫌でした。父親の影響から自分もクルマが好きだったこともあり、クルマ業界を視野に入れた時にアップガレージと出会いました。それまで、アップガレージのことは知らなかったです。

 

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会社説明を聞き、家から一番近かった国立店へ行ってみました。きっと当時の店長だったんですけど、スタッフに声をかけながらチームとして働いている様子を見て、野球と通じる部分があると感じました。

その後、無事に内定をもらい入社を決めました。

 

新人賞を逃したが、同期で1番になるために誰よりも量をこなした

入社1年目、目標にしていた新人賞が取れなかったんです。一生懸命やりましたが、ダメでした。次の目標を何にするか考え、同期の中で一番最初に副店長になることに決めました。

当時の店長高橋さん(現:エリアマネージャー)にどうやったら副店長になれるかグイグイ聞きました。全店個人売上1位を3ヶ月連続とったら副店長にさせてくれる、と約束してくれたんです。

売上をつくるのは本店など規模の大きい店舗が有利です。どうやったら勝てるか考えた末、ひとつの売上にどれだけ絡む時間を増やすか、仕事量を持てるかを意識し行動しました。そんなことないと言われるかもしれませんが、梱包も接客も人よりも多くの時間に触れました。

結果、3ヶ月連続1位を達成し約束どおり副店長に昇格しました。入社1年半のタイミング、同期で一番早かったのでこれは大きな自信になりました。

 

 

 

後ろに誰もいない店長の責任感

 

4年目に店長に昇格しました。副店長とちがい、会社から一つのお店を任されているプレッシャーと自分の後ろに誰もいない、全て自分で最終決定権を持たなければいけない責任感がありました。

 

店長時代は、育成に取り憑かれていました。

野球を通じて学んだ人の成長に関わることの嬉しさを思い出した感覚がありました。売上をつくるには接客が必要です。よりよい接客をするためには精神状態の弱さを削ぎ落とし、壁を乗り越える考え方などを育成する人間形成が必要でした。

ただ、お店をグチャグチャにしてしまった、売上をつくれない時期もありました。

僕が目指す店長像と一緒に働いているスタッフの求める店長像にギャップがあったためです。スタッフは、店長のすごい姿を見たい。例えば売上をつくれるなど、すごいと思う何かを持っていて欲しかった。僕は、店長はカウンターの中にいてみんなができない数字管理業務や何かあったときの最終決定権を持つ存在を目指していたのです。

スタッフの求める店長像を見せるために変わりました。1〜3月、お店の中での個人売上トップを取り続けました。売り場に出ながら指示出しをするので大変でしたが、相手の思っていることを知り、自分が変わり、やれる姿を見せ、人間関係が良好になったら売上もついてきました。

 

 

店長だから全てを決めるというのは今の時代にあっていないと感じました。毎回スタッフが変わる中で、その子たちが思い描いているものに寄り添い、更によくする方向に自分が変わっていかなけばいけません。

 

 

志願していた本部異動

想像より早く正直「今か?」と思いましたが、嬉しかったです。

人の部分で課題があると感じていたので、年2回の社長と1対1のキャリア面談では採用に関心があり本部志望という話はしていました。

 

現在、人事総務部アップガレージの採用・研修担当

 

本部に異動してみて、店舗とは180度違う仕事で予想以上に苦労しています。入ってきてまだ2週間ですが、ものすごく重要なポジションなのに業務のイメージができていない危機感があります。自分で仕事を取り、決定権持ち、各部署や社長に提案する難しさがありますね。

2020年の新卒採用目標は30人です。今は、自己理解と会社理解を深めるための情報収集を進めています。

野球ばかりで活字慣れしていないんですが、今まで読んでこなかった日経新聞を読んでいます。言葉が理解ができずいかに世間知らずだったか痛感しています。

 

恥をかく半年間にしたい

 

恥をかく半年間にしようと思っています。その前提がないと何事にも飛び込めません。

この会社のいいところは、経営陣との距離が近いことです。新卒で入って、一番仲良い同期の奴が辞める辞めないの話をした時にスーパーバイザーの菅原さんが遠方からわざわざ話をしに店舗へ来てくれたり。最近も新人が悩んでいると知ったら、河野さんが店舗に来てくれたり、食事に気軽に声をかけてくれる。この環境は当たり前だと思っていません。

だからこそ、今後この会社をもっと成長させるために人は財産として考え、人事に携わっていきます。